壁の向こうのスカイライン

ひとり暮らしを初めてから、地元に帰ってくるのは何度目だろうか。

今日も私は、ものの1時間の場所にある実家に帰ってきた。目的である美容院の予約時間が18時であったため、普段のように夜ご飯を実家で食べず、髪を切った後そのまま近くのファミレスに駆け込んだ。

このファミレスには思い入れがある。2015年12月。高校3年生の冬という過渡期を迎えるも、「推薦入学」というスペードの3のようなカードを手にしていた私は、周囲の同い年が勉強に勤しむ中、高校生活の清算に向けた数々のイベントや、4月からの新たな環境への期待に胸を弾ませていた。そんな私が目標としたのが、運転免許の取得だった。家から自転車で10分。駅からも近く、設備も綺麗な教習所に通うことを決めた。この時はまだ、この教習所生活が私にとって特別なものになることなど、知る由もなかった。


「免許取ったら何乗りたい??」
入校手続きのための書類を書いている際、手続きを進める教官が不意に聞いてきた。車に詳しくもない私は、ひとまず話を繋げるべく、当時レーシングゲームでよく操作していた「スカイライン」の名を挙げた。
「君ぐらいの歳の子がスカイライン乗りたいんだねぇ」と教官が白髪混じりの髪を掻きながら笑みを浮かべる隣で、"その人"は輝かんばかりの笑顔を浮かべ、私を向いていた。

"その人"は、教習所の受付をしていた。何度も教習原簿を受け取り、キャンセル待ちの有無を告げられた人。歳は20半ばといったところ。顔立ちは幼く、当時アイドルを知らない私にもドンピシャな「たぬき顔」であったことを覚えている。芸能人で言うと「重盛さと美」のようだっただろう。
その始まりは突然だった。ある日、休日で混み合う中、いつものように教習原簿を受け取り、その後の野球のための大荷物を受付で預かってもらおうとした時。

「そんな荷物でどこに行くの??」

その人が、急に私に尋ねてきた。「野球行くんです〜」「凄いね、大変だね〜」交わした会話は、たったこの程度であった。そりゃこんな大荷物を持っていたら何をするのか気になるだろうな。でも楽しそうに話しかけてくれて嬉しかったな。という感想しか持ち得ていなかったが、そこで確かに「受付の向こう側」という遠い存在であったその人を、身近に感じる大きなきっかけになった。
その人と話せるチャンスは、受付や学科終わりの教習原簿の受け取り時。後ろに誰も来なさそうなタイミングを見計らい、その人の元へ行った。話すことは毎度2,3言。1分にも満たないわずかな時間の、たわいも無い会話であったが、私は確かにその時間に大きな幸せを感じていた。


ある学科の時間。初バイト先で毎日受けていたパワハラにより心身ともに疲弊していた私は、あろう事か睡魔に襲われてしまった。当然教官には怒られ、何とか出席を認めてもらう形になった。5ミリほど反省した後、教室で教習原簿を受け渡してくれたのは、その人だった。
「寝ちゃダメでしょー?」「いやすんません…笑」そんないつも通りの会話。しかし、その日だけはもう10秒、続きがあった。

「そんなんじゃスカイライン乗れないよ〜?」

何の人違いかと思った。私はスカイラインに乗りたいなんて思ってもいなかったし、当然話した記憶もない。突然降ってきたスカイラインという単語は、どの記憶を検索しても謎のままで揺れていた。
気温1桁の侘しい土手道を帰りながら、ハッと思い出した。一度だけ、私はスカイラインの話をしたことがある。入校手続きの時だった。教官から突然投げかけられた質問を適当に返しただけの、記憶から真っ先に消えていくような会話。そんな会話を、ただ聞いていただけのその人は、明確に覚えてくれていたのであった。

私が日々の中で大きな嬉しさを感じる瞬間は、「誰かの記憶の中に、自分という存在が残っていると実感した時」である。初めて会った時は挨拶程度しか出来なかったのに、次会った時にその時のことを細かく覚えてもらっていた時。私の些細な好きなものを覚えてくれていた時。自分で言うのも恥ずかしいが私は自尊感情が低く、そんな些細なことに関しても「私なんかのことを覚えてくれていたのか」「あんなしょうもない事に興味を持ってくれていたのか」と大袈裟に解釈してしまう。少し自意識過剰にも見えるだろう。でも私は、そうでも思わないと自分という存在の価値を見出せないのだ。誰かに覚えてもらえてる。知ってもらえてる。それが私にとって、大きな喜びになるのだ。
初めて会った若干18歳の、直接会話していた訳でもないたった一瞬の発言を、明確に覚えてくれていたその人。あの時、私の中でその人は「特別な思いを持つ人」になっていた。
受付のカウンターという、低いようで大きくそびえ立つ壁の向こう側にいる人。ある意味「生きる世界が遠い人」であり、本来私などが特別な思いを持つような人ではない。ただ、そんな人が私の事を覚えているだけでなく「存在を明確に認知してくれている」ことを知り、その人を今まで以上に身近に感じてしまったのだ。今までは「違う学年のマドンナ」のように感じていたその人を、「同じクラスの片思いしている人」のように、いつしか想うようになっていた。

それ以降も、その人と話せる機会は教習所に行く度のたった数秒のみ。受付、学科における教習原簿の受け渡し時。休憩時間に教習所内でばったり遭遇した時。効果測定の合格を一言、祝ってくれた時。私はその限られた時間に、これ以上ない幸せを感じていた。
そして私の教習所生活は、4ヶ月ほどで終わりを告げた。仮免試験において、坂道発進で6回エンストして検定中止になったのもいい思い出である。卒業検定を難なくクリアし、あとは学科をクリアしてフィニッシュという時、教官から最後の手続き等の説明があった。
目の前にいるのは、もう私のスカイラインなど覚えていないであろう教官と、しっかり覚えてくれているその人。私の教習所生活は、最初も最後もこの形であった。退室する際、その人に言われた「もう帰ってきちゃダメだよ〜」という言葉は、その人なりのエールであり、その場での別れを意味する哀しきものであった。結果、免許センターでの本免学科試験に落ちてもう一度教習所に足を運ぶという恥ずかしいことになったが、私が4ヶ月もの間抱えていたその人への特別な思いは、意外とあっけなく、終わりを迎えた。

そんな淡い思い出と共に過ごした教習所生活。様々な思いを抱えながら、私は冒頭のファミレスによく行っていた。「今日はこんなこと話せたな」「あの時可愛かったな」なんてことを思いなから、一番安いメニューに手を伸ばし、キャンセル待ちをしたり、お昼休憩を潰したりしていた。店内BGMを「高嶺の花子さん」にして欲しいと、何度思ったことか。その後もこのファミレスに来る機会はあったが、必ずあの時のことを思い出した。ファミレスからも見えるその教習所を見て、その人は元気にしているのか、もう辞めてしまったのか、そういえば教習車変わってるじゃん。偶然を装って近くまで行ってみようか。そんな事が私に出来ないのは、分かりきっていた。
忘れられているのが怖いのだ。覚えてもらっていることに大きな喜びを感じる私は、同時に忘れられていた時の悲しみも非常に大きい。だから私は、昔の友人に会うのが怖い。

私は環境が変わる度にそれまでの友人との関係がどんどん無くなっていく、言わば「リセット症候群」のようなものであると自覚している。その理由も単純で、人に忘れられている恐ろしさを想像すると、飲みにもご飯にも誘いにくくなるのだ。
「俺たち2人で飯行くほど仲良かったっけ?」「ご飯行くの初めてだよね?」
それまでどれほど仲が良くても、ご飯に行く仲でも、その事実を忘れられていた時の怖さを想像すると、誘いの送信ボタンという引き金は引けなくなる。結果、今仲がいい人しか誘えず、過去の友人との繋がりがどんどん薄くなってしまうのだ。

今まで、私はずっとそうしてきた。人間関係に怯え続けてきた。見えない空気感を必要以上に恐れてきた。今後の人生で新しく"友達"に巡り会う機会は、もう限られている。こんな私の誕生日を祝ってくれる友達も、決して少なくはなかった。今までは大した意味を感じなかった5文字の言葉を、23歳になって初めて噛み締めた。私は、変わらなくてはいけない。

そんな私は今日、このファミレスに帰ってきた。この4年半で私が変わったことは、社会人という肩書きを手にしたこと。頼むメニューが少し高くなったこと。スカイラインではなくインプレッサに乗っていること。それでも、私の周りを取り巻く環境は日々変わっている。また明日からも変わり行く社会に身を投じなければいけないのか。という、毎日にワクワクしていたあの頃とは全く違った感情を胸に、私は席を立った。レジに向かう途中、ドリンクバーの前で一人の女性と目線がぶつかった。思わず引き寄せられた、と言う方が正しいかもしれない。栗色のミディアムヘアに幼めの顔。若干目を見開き、驚いたような表情で私を見てくる女性は、紛れもなく"その人"であった。
もちろん確証はなかった。最後に会ったのも4年前で、同じような顔立ちの人はこの島国に何人もいるであろう。ただ、その真ん丸な目を更に見開いた驚きのような、困惑のような表情は、私の事を知っていないと出来ない表情であると悟り、目の前にいる女性が4年前に特別な思いを寄せていた"その人"であると確信した。
あの時、私はどんな表情をしていたのだろうか。その人と同じように驚いていたか。確証のない再会に戸惑っていたか。その一瞬で淡い記憶を思い出して照れていたか。「もしかして○○くん?」と声を掛けられるまで、私の脳内では4年分、記憶の巻き戻しボタンがひたすらに長押しされていた。「○○です!久しぶりですね…」という精一杯の言葉が、ようやく言葉が渋滞して細くなっていた喉奥から現れてくれた。
「久しぶりだね〜!何年ぶり〜?」「4年ぶりですね〜…」ドリンクバーのコップを左手に持ちながら笑顔で話しかけてくれるその人。あの時、自動販売機のお茶を片手に話しかけてくれたその姿が、4年の時を経て目の前にあった。
長い歳月を感じさせない、相変わらずの幼い顔。輝かんばかりの笑顔。4年前と同じものだった。しかし、ふと目をやったコップを持つ左手には、シルバーリングが1つ。その煌々とした輝きが、私に4年前との大きな"違い"を見せつけていた。
あの時、受付の向こう側という遠い世界からその壁を超えてきてくれたその人は、令和となった今、いくら手を伸ばしても届きようのない存在となっていた。もう私とは絶対に交わることの無い、生きる世界が違う人。教習所を出たあの日に終わったはずの特別な思いは、今日で完全なる"終わり"を迎えたのだった。

ここまで散々「特別な思い」と書いてきたが、何も私はその人が"好きな人"だった訳では無い。身近な人だと感じていたとはいえ、流石に自分の身分もわきまえていたし、その人に何かを伝えようとも思っていなかった。ただ、恋を出来ているだけで良かった。片想い出来ているだけで良かった。今、私はアイドルへのガチ恋という、あの時の同じような感情を持っている。生きる世界が違うと感じる人に、恋焦がれるようなことは無い。しかし、前述したように生きる世界が違うような人が私の事を記憶の中に刻んでくれているということを知ってしまったら、手が届かないと分かっていても、特別な思いを持ってしまう。手が届かないと分かっていても、その人に恋焦がれている気持ちで十分だと感じてしまうのだ。近いようで遠い存在だと分かっているからこそ、恋焦がれていられるのだ。

今日交わしたのはたった数十秒の、4年前と変わらないような会話。変わったのは、その会話に以前のような多幸感が無かったこと。その人はもう、受付なんかよりも更に高い壁の向こう側にいる人であること。しかし、決して虚しさを感じてはいなかった。むしろ、あの4ヶ月にようやく裏表紙が付き、思い出として完結したような清々しさを感じることになった。今日、綺麗に清算されたこの思い出は、私にとって大切なものとして心に残り続けるだろう。


「幸せになってください」

少し早い七夕の願い事を心の中で叫び、4年前より400円ほど高いお会計を済ませた。私は明日からも、激しく変わり行く社会に身を投じる。地元の駅までの足取りは、「変わっていかなくては」という決意表明のような、覚悟のような、力強いものであった。