御殿場JCT、記憶の三叉路

6月生まれの私にとって、25回目の夏。私は3月に購入した愛車を、ひたすら西へ走らせていた。目的地は関西の親戚家。新幹線や飛行機で帰るのも悪くなかったが、現地で動き回るのに車が必要ということで、6時間かけて車での帰省を決めた。

東名高速道路を西へ走っていると、1つの情景が頭に浮かんできた。それは14年前、父の運転する車の後部座席から見た、無限に続いているように感じたあの道路の景色だった。

我が家では、盆休みと正月に関西へ帰省するのが毎年の恒例行事だった。金曜日の夕方、父の会社まで母の運転で向かい、兄貴と私は後部座席で、年に2回の帰省という行事に心を躍らせていたのを今でも覚えている。あの頃の私にとって、親戚家への帰省は日常の中にある唯一の非日常であり、普段決して見れない景色や味わえない感情を経験できる、これ以上ない貴重体験だったのだ。

私は今でも、この非日常というものに心を踊らされる。東京というコンクリートジャングルでの生活しか知らない私にとっては、多くの人にとっての「当たり前」がほとんど非日常になる。親戚家から見える中山連山の風景、近くを走る阪急電車の踏切の音、駅に漂う「くくる」のたこ焼きの匂いにいちいち感動していたように、旅先で見る様々な「普段の生活にない情景」を見ては人知れず感動を覚えている。

 

大和トンネルという魔境を足掛かりにいきなり40分も渋滞にハマり、早くも心身共に削られ始めていることを実感した私の視界に飛び込んできたのは、「御殿場ジャンクション」「新東名高速道路」の文字であった。

14年前は存在していなかった、深々とした緑色の看板と真っ白な橋桁。兵庫への道のりを30分以上も縮めてくれるその新たな文明の産物をあえて避け、私は何十年も踏み固められた「東名高速道路」を進むことを選択した。それは、あの時と同じ道を進むことで「過去の追体験をしたい」という理由からだった。

 

まだ車の屋根にも届かない背丈だったあの頃に、父親の運転で何度も通ったこの道。これを自分の運転で走ることで、あの頃の記憶に浸りたいと思った。そして、自分が成長したという証を自分の目で、体で、五感全てで実感したいと思った。

インターチェンジを一つ越える度、様々な記憶が呼び起こされた。海が見たいと思い、「トイレに行きたい」とウソをついて寄ってもらった由比PA。あの頃は太平洋よりも広く感じた、SAから見る浜名湖の景色。「ここは踊る大捜査線の映画で使われたんだよ」と、母親に毎年言い聞かされながら通った京滋バイパス。もうすぐ祖母家に着くことを感じさせてくれる、中国道から見える太陽の塔。そういった、500㎞続く道路に落ちている思い出の欠片を拾い集めながら、私は臙脂色の鉄塊を西へと走らせ続けた。網膜を超えて、何十年もかけて蓄積された様々な記憶が脳裏に呼び覚まされていく。そして、「大人になった自分」がこれらの風景を見ているという事実に、大きな感動を覚えていた。頼もしい手さばきでハンドルを操る父親の姿を思い出しつつ、目いっぱいアクセルに力を込める私はあの時、「立派な大人」であった。14年前も混み続けていた大和トンネルで出先をくじかれ、とてつもないゲリラ豪雨の中で「ハイドロプレーニング現象」とは何だったかを脳内で反芻しながら小牧を抜け、名神では2度も事故渋滞に巻き込まれ、結局私の東京-兵庫の初運転は7時間半もの長旅となった。まだまだ父親には敵わないな、と実感した私は、子供だったであろうか。

 

人が「大人になった」という自覚を持つのは、どんな時だろうか。身長が両親に追いついた時か。高校を卒業し、制服という拘束具を脱ぎ捨てた時か。20歳になって、酒や煙草といった「生活の自由」を手にし、アルバイトや仕事で稼いだ「自分のお金」を「自分の好きに」使えるという「金銭的な自由」を手にした時か。社会人になって、人間として自立したことを実感した時か。

タイミングは勿論、人それぞれである。私の場合は、やはり「過去の追体験」というものが大きなカギになった。

 

私が20歳になった直後の夏、親戚家に家族で帰省した。帰省自体は4年ぶりだったが、昔あんなに広々と感じていた親戚家が異様に狭く感じた。家族4人で布団を敷いて寝れた客間も、3人で精一杯だった。足を悠々伸ばして入っていた風呂も、膝を折り曲げないと入れなくなっていた。16歳の時に気付かなかったことにここで気付いたのは、やはり20歳になったことによる「潜在的な大人の自覚」というものによるだろう。

2007年、煙草を吸う大人達の傍らで手持ち花火にウキウキしながら火をつけていた10歳の夏。2017年、煙草に火をつけて、花火で遊ぶ従姪を見守る20歳の夏。視点こそ違えど、同じ記憶同士の結び付きであった。このように過去の記憶を追体験することこそ、身長が30センチ伸びたことよりも、自分の足でどこまでも行けるようになったことよりも、何よりも自分が大人になったことを実感させてくれるのだった。

こういった記憶の追体験というものは、誰しもが経験のあることだろう。そして、その度に自らの成長を実感する。マイカーの納車後、初めて走った道が246号線だった。ここは、5年ほど前まだ初心者マークを背負っていた時に何度も走り、運転の礎を築いた思い出の道であった。あの時は不規則に流れ行く人々の意思に怯えながらハンドルを握っていたのが、今では車線変更でも何でも簡単にできてしまう。立派な、大きな成長であると感じた。

 

過去を振り返ってみて、またあそこに行ってみたいな、あれをやってみたいなと思うことは多々ある。自転車で300キロ走ったり、原付で1000キロ走ったりともう到底できそうにないこともあるが、また同じ風景を見に行って、あの頃の自分とはまた違う思いを持った自分というものを重ねてみたい。追体験とは、ただ思い出を振り返るだけでなく、昔の自分を現在に投影させることでもある。自分がどれだけ変わったか。改めてどんなことを思い返し、今何を思うか。自分の現在地はどこなのかといったことを知るきっかけとなるであろう。

そして、このように追体験して特別な感情を持てる「記憶」というものをこれから増やしていけるかどうか、私の行動次第である。この目で、この足で、様々な風景を見に行って、良くも悪くも沢山の記憶を蓄積していきたい。たとえ悪くても、追体験した日には「あんなこともあったな」と笑える日がきっと来るはずだから。追体験こそ、私をまた成長させる大きなカギとなるのだから。

今の私は、これまでの自分が持ち得なかったステータスを多々持っている。そして、これからも様々なステータスを増やしていける。これらを踏まえて、今までの人生にどんな感想を持つことができるだろうか。はたまた何年後かに、今の自分を振り返る日も来る。今抱いている様々な感情に、未来の自分はどんな思いを抱くであろうか。計13時間、走行距離1200キロという24歳の夏を振り返り、「東京-兵庫の運転でヒイヒイ言ってた時もあったなぁ」と笑える日が来れば、これ幸いである。