かつて有能だった俺たちへ
昔から、そこそこできる方の人間だと思って生きてきた
勉強も、小学生、中学生の時はそこそこ上の方。高校では野球に没頭したこともありそこまでだったが、大学でも単位を落としたことは無かった。
アルバイトでも要領を掴むのは決して早くなかったが、要領さえ掴めばすぐに何でもこなせるようになっていた。3年勤めたバイト先でも、1年目からできる新人だと言われ、2年目からは大きな仕事を多々任されるようになった。最後の方はバイトとしての業務責任者のような立場にもなった。自分でいうのも恥ずかしいが、先輩からも安心して仕事を任され、後輩からも結構頼られていた。
自尊感情が低いことでお馴染みの私も、そこには自信を持っていた。普段は全くもって大したことのない自分が、仕事場では様々な人にとって大きな存在になれるその瞬間が好きだった。日常生活で酷い目に合いボロ雑巾のようになっても、いざ仕事場に行くと"有能の鎧"を着せてもらえるその瞬間が好きだった。少し自惚れ過ぎているかもしれないが、私の「学生アルバイト編」において、プロフィールに書かれる肩書きは"有能"であったと自負している。そのまま「社会人生活編」へと繋がっていく中で自分がどんなプロフィールを手にしていけるか、期待と若干の不安が入り混じっていた。
そして2020年末。私の「社会人生活編」が始まってはや半年。仕事納めをした今の私のプロフィールには、"無能"の二文字が肩書きとして、しっかりと刻まれている。
ロクに仕事ができない。大事なことが抜けていたり、言われた内容をすぐ理解できなかったり、進め方が分からなくなって上司に頼りっぱなしになってしまったり。客に何度平謝りしたか、覚えていない。上司は怒るというアクションこそ取らないが、まあ呆れているだろう。「作業はそれなりにできるけど仕事はできない」というのが、私の現状であると感じている。
正直、こうなることは予想していなかった。難しい、大変な仕事であるということは当然理解していたが、それも"自分"ならどんどん乗り越えられると過信していた。
仕事は想像の何倍も複雑で、難しかった。上司の仕事のやり方も非常に細かい。正直、半年でモノにできるような内容ではないとも思う。しかし、それだけではない。難解な仕事内容だけでなく、もっと大きな存在が、私のプロフィールに無能という二文字を書き殴った。
それは紛れもない、"昔の自分"である。
私は"無能"な自分を知らなかった。ずっと"有能"な自分でいられると思っていた。丁寧に細かく覚えていく必要がある仕事に対して、「今まで通り流れで覚えていける」という慢心があった。その結果、たったの1年で都落ちした自分にショックを受ける反面、無能である自分を受け入れようとしないまま、有能だったころの幻影を追ってしまっていた。
入社して3か月ほど経った時、私は自分の出来なさにようやく気が付いた。様々な仕事への対応力が無く、内容を理解しきれていないこともしばしば。内容を理解できていないことによるミスもあった。そこまで自分の出来なさに気が付けなかったのは、自分が未だ「有能側の人間」であると思い込んでいたのが原因の一つでもある。
先ほど書いた"慢心"である。まさか自分がこうも無能だなんて、思ってもいなかった。
「今はまだ難しくて理解できないけど、どうせ"今までみたいに"分かるようになる」
「全然正しくできないけど、"自分なら"いずれ完璧にできるようになる」
無能である自分から無意識に目を逸らし、有能だった過去の栄光にすがっていた。
その慢心や驕りがただでさえ遅い自らの成長をさらに遅くし、それにすら気付かない自分は「何故なかなか出来るようにならないんだ」と首を傾げていた。「自分にできないはずがない」という勘違いはいつしか「自分の分野はかなり難しい部類」「仕事量がさほど多くないから、前のように反復で覚えることができない」といった言い訳、責任転嫁に逃げる理由になっていた。
気付くまで3か月。遅すぎた。同期が様々なトライ&エラーを繰り返して成長を重ねていく中、私は"有能だった自分"という幻影を追い求め、その場で足踏みを続けていた。
"かつての自分"にできていたのは、アルバイトという「ある程度決まった流れの中で取り組む作業」であった。個人の仕事は基本一人でおこない、自己完結させることができていた。誰かと関わる仕事は専ら社内の人間。その場で指示をもらう、指示を出すといった、その場で完結できる仕事しかなかった。
"今の自分"がしている仕事は、「様々な流れの中で、とんでもないイレギュラーにも対応しながら進めていく作業」である。自分だけでする仕事など殆どない。自分の仕事が誰かの仕事に直結するし、誰かの仕事が自分の仕事を左右する。流れも多種多様で、そこから起こる様々な状況に適切な対応をする必要がある。
こんな明確すぎる違いがあるにも関わらず、私は"かつての自分"と同じことをしようとしていた。決まった作業の中で、仕事ができるようになると思い込んでいた。
この半年、全く同じ仕事をしたことは殆ど無かった。作業こそ同じであっても、状況が毎度毎度で違う。何か必要なものが足りない。何らかのスケジュールが遅れている。そういったイレギュラーに対応し、適切な行動を取ることが求められる。経験値が必要なのは勿論だが、早いうちから養われるべき対応力や思考力といったものを身につけることができないという現状である。"アルバイト"などという狭い世界では考えることもない領域である。
そして、自分が無能であるということを完全に受け入れさせたのは、何より"昔の自分"の存在だった。
先日、バイト時代の後輩たちと1年ぶりに会った。うち一人が東京から居なくなってしまうという理由で開催したが、正直気が引けた。今の私は、彼らの前で完璧な仕事をして、彼らに頼られていた"昔の自分"とは全くの別人である。彼らに、「無能な自分」を知られたくなかった。いつまでも「有能な先輩」でいたかった。
そんな過去の栄光にすがる自分を、彼らは未だに頼ってくれた。「先輩が去年ああしてくれたおかげで、今年何も問題なくできました」「先輩がいなくなってからあれが大変になっちゃって」といった言葉の数々は、私が「かつて有能だった私」が存在することを実感させてくれた。そうして、"有能だった過去の私"の存在が自分の中で大きくなると同時に、"無能な今の私"の存在もコントラストのように浮かび上がってくる。今の自分はあの頃の自分とは全く違うと、痛感させられた。
"昔の自分"が、"今の自分"を遠くから嘲笑っている。先輩・後輩から頼られている"昔の自分"が、先輩から呆れられている"今の自分"にとっては雲の上の存在のように見えた。そこで自分はようやく、自分がいる位置を理解する。崖のギリギリで踏ん張っていたと思っていたが、実はとっくに崖下に落ちていたことに気が付いた。あの頃の自分と現在の自分の対比が、今の自分の不甲斐なさを際立たせる。
私は今更ながら、頑張らないといけないと思った。もちろん仕事だからということもあるが、それ以上に「今のままでは後輩たちに合わせる顔がない」ということが大きい。もう散々使い古した"有能の鎧"を着た姿でなく、ありのままの姿で彼らに会いたい。彼らに恥ずかしくないような姿でいたい。そう思った。そのためには、ちゃんとした"有能"にならないといけない。
彼らの前で特別カッコつけたいという訳ではない。ただ、変なプライドとかではなく、彼らにカッコ悪い姿を見せたくないという思いが強い。私のことを「先輩として憧れる」「いざとなった時に頼れる人」と言ってくれた彼らを、無能な私をさらけ出して裏切りたくない。
「自分のメンツを保ちたいだけ」と言われるだろう。何も間違っていない。その通りである。ただ、私にとってのメンツは、もうこの場所にしか残っていない。私のことを「凄い」「信頼している」と言ってくれるのは、もう彼らしかいない。この場所がなくなれば、私は名実ともに"大したことのない人間"になってしまう。ここまで堕ちた自分でも、まだ一かけの「有能になれる可能性」というものを信じたい。また以前のように、周りから頼られる人間になれるチャンスが1%でも残っているなら、そこに向かってやるしかない。そのために今は、無能だと分かっていても「かつて有能だった私」が存在していたことを忘れないよう、そのメンツだけでも守りたいのだ。
もう3か月もすれば、こんな未熟な私にも先輩という肩書が増える。より多くの先輩と関わる機会も増えるであろう。今のままでは、私はただの無能のままだ。もう有能だったころの幻影を引きずって目の前から目を逸らすのではなく、今の自分に向き合い、そしてかつての自分を目標にして、新しい自分を高めていかなくてはいけない。無能である自分との付き合い方。大きな壁ばかりになるが、また新たな"有能"の肩書を手にすべく、地道に努力を重ねていきたい。
私は、頑張らないといけない。