カウントダウン 82日

学生生活が終わるまで、とうとう残り3ヶ月を切った。この残り期間のことを「時限爆弾」と言う友達がいた。4月1日に爆発することが確定しており、そこまでの残り日数も目に見えて分かっている。私はこの表現に凄く納得したが、少し違う思いもあった。「爆発」という言葉で4月1日を例えているということは、その日に絶望感や悲壮感を感じているということだ。確かに一般的に見ると、学生生活の終わり、社会人のスタートという日は決して明るい日ではないかもしれない。しかし、私にとっての4月1日は決して暗いだけのものでは無い。学生という肩書きが外れ、住む場所も変わるという私にとって最大の変化。「新生活」という一見何でもない3文字が、確かに私をワクワクした気持ちに駆り立てているのだ。社会人になることは単に社会の歯車になるだけでなく、「学生」のような決まったものと違い「社会人」という漠然としたステータスを背負い、そこから自分のステータスをどれだけ進化させていくことができるか。という冒険のような、長旅のような、そんなものであると考えている。もちろんそれは行き先も未来も見えない真っ暗な世界であるため、そこに対しての恐怖心もある。ただ、その日が新たな自分を見つけ出すことができる分岐点になると思うと、その暗闇に対しても小学生の頃におこなった洞窟探検のようなワクワク感を覚えるのだ。だから私はこの残り期間を、新しい自分になる意味で「カウントダウン」という言葉で形容したい。そして、このタイミングで投げ込まれがちなのが「今のうちにいろいろやっておけ」という声である。社会人になったらそんな遊べる時間はない。なったあとに後悔しても遅いから、今のうちにやれる事をやっておけ。そんな声を多々聞いた私のスケジュール帳のカレンダーは、黒より白が目立つ。その沢山汚してくれと言わんばかりの空白を見る度、私を襲うのは何ともいえない心寂しさである。
別に予定を入れる上で不都合なことがある訳では無い。資金的な余裕はあり、時間的な余裕もスケジュール帳の空白が物語っている。不都合と言えば、特別何かを一緒にしたい友達が少ないことぐらいか。ただ、今の私に一番無いのはそういった物量的なものではなく、「今のこの時間でしかできない、やりたいこと」なのである。時間があるうちに色々やっておけと言われるものの、だからといって大してやりたくもないことにお金を使い、無理に時間を消化する必要はあるのだろうか。今私が与えられている"時間"には期限がある。タイトル通り、あと82日しかない。しかし、82日が過ぎた後私にはまた新たな"時間"が与えられる。それは今より遥かに少ないものであることに違いないが、決して0ではない。そして私が今持つ資金には、使用期限がない。使わなかった分は社会人という次のステージに持ち越せばいい。人生ゲームのように、あがりの度リセットされる訳では無いのだ。私は今、バイクが1台買えるくらいの貯金を抱えているが、派手に使う気は一切ない。家を出る時、両親宛に感謝料として10万円置いていこうという作戦を計画しているくらいだ。SNSを開くと様々な友人が卒業旅行の足跡を残しており、インスタグラムはさながら世界一周旅行のガイドブックのようだ。そんな彼等は寿命の如く与えられた自由な時間の存在を明確に認知し、自分のやりたいことに対して的確に予算を組み分け、有終の美を飾る準備が出来ている。「やりたくなったら社会人になってからやればいい」という無責任なビジョンを、社会人の自分に丸投げしようとしている私とは大違いだ。
ただ、社会人になってから思う「あの時これをしておけば良かった」というものは、今の私がやりたいことではないと考えている。現に、今やりたいことはさほど多くないし、どうしてもやりたいことはあと3ヶ月で消化するつもりだ。これは甘い考えかもしれないが、「これをしておけばよかった」と思っても、社会人の限られた時間でやってしまえばいいのでは無いか。私はこれまでの学生生活でも、限られた時間や環境、手段の中で自分のやりたいことを達成してきた経験がある。時間がなければ朝6時から国道を南に走ったし、手段が無ければ免許を持っている原付で三重まで走ったこともある。そういった経験のある私だからこそ、ある程度の制約が課されても何かしら手段を見つけて実行に移せる自信がある。不明瞭な未来の後悔を防ぐためにわざわざ何かをするというより、今は自分がやりたいことをしたい。それが私の考えである。ということで、私が卒業するまでにやりたいことを、ここに書き認めることにする。


旅行
先ほど散々「やりたいことは無い」と書いたが、やはり一度旅行には行きたいし、計画もしっかり立てている。海外のある都市に久々に行くことを検討したが、そこは社会人になってからも行けそうな場所である。社会人になると逆に国内に行かなくなる。という誰が言い出したかも分からない迷信を受け、学生生活の最後ということもあり、私の様々な思いが眠る都市に訪問することにした。一つは広島のある都市。今まで3度訪れており、毎回違った悩みや思いを抱えてその地を踏んだ。今でもその風景を思い返せば当時の感情が脳裏に蘇るし、未だ同じ悩みを抱えていることに苦しくもなる。そんな様々な思いを精算するという意味でも、学生最後のタイミングで足を踏み入れたいと感じた。そしてもう一つは長崎。ここに関しては、特に抱える思いがない。ただ、昨年初めて訪れた際、事故に遭って足を引きずりながら長崎の街を歩いたという何とも悲しい思い出があるので、もう一度ちゃんと訪れたいという思いはある。現地でやりたいことは無い。そもそも、長崎というのは彼女と行くのが相場なはず。金沢と長崎。彼女が出来たら、この2都市は必ず抑えたいと思う。
そんなことを書いている最中、日向坂の広島公演に外れてしまった。まずい。広島でライブを見て長崎に行く予定がチャラになった。アイドルを目的にするという下心を持ってしまうとこうなるのであろうか。とにかく、どうしよう。


占い
本当に凄い占いは、その人の心を見透かすと聞く。私自身オカルトじみたものには非常に興味があり、占い系の怖い話も好んで読む。私が占いに望むことは、「自分の心を読んでもらう」である。何かを当てて欲しいとは特に思わない。私はここ最近ずっと、自分が本当は何をしたいのか、どうしていけばいいのか、どういう人間なのかといったことが理解出来ず、自分に対して疑心暗鬼になってしまっている。もし占いによって本当の自分を知ることができ、今後の指針を手にすることが出来たらそれ以上ない。自分はこういう人間であるということを、占い師という肩書きによってコーティングされ、説得力を増した言葉で突き付けられたい。あ、ついでに「どうやったら彼女が出来るのか」も聞いてみたいと思う。あくまでついでに。


髪を染める
生まれてこの方、髪を染めたことがない。さほど興味なかったということもあるが、一番の理由は地毛の色が好きだからだ。元々遺伝で地毛が茶色く、今でこそ坊主にした影響で少し黒っぽいが中学生までは真っ茶色であった。この色を維持したいという理由で髪を染めてこなかったが、一度くらい違った髪色にしてみたいという欲が出てきた。ただし染めるのはやはり抵抗があるので、カラーワックスを使ってみたい。色は一択。シルバー。


ゴルフ
高校生の時、選択授業でゴルフがあった。野球で左打ちである私は、将来のことなど何も考えずその時楽しめたらいいという感覚でゴルフを左打ちで練習していた。先生には「どうせ右でやるんだから右でやるべき」と何度も念を押されたが、私は1年間左打ちを極めた。今ではそんな自分を叱責したくなる。一度だけ、父親と打ちっぱなしに行った。父親のクラブは当然右打ち。右打ちではボールが真っ直ぐ飛ばない。当たり前である。これではとても付き合いのゴルフなど行けたものでは無い。何故将来のことを考えて右で練習しなかったのか。これから始めるにしても、0からのスタートだ。将来何があっても困らないよう、これから再び取り組むことを決心した。


社会人になってからも生きる脈を作る
最近ふと、自分の結婚式を想像する。なぜ彼女すらいない自分が結婚出来る前提なのかはよく分からない。ただ自分の結婚式を頭に浮かべた時、参列してくれる友達の顔もスピーチをしてくれる友達の顔も、霧がかったようにぼやけている。つまり、私は自分の結婚式に誰を呼べるのか分からないのだ。過去の知人の中で今もまだ行き続けている脈は、高校の野球部くらいかもしれない。共に受験を乗り越えた仲間。かつて共に旅行した仲間、毎月飲みに行っていた同級生、過酷な環境の中で支え合ってきた戦友。長い学生生活で築いた、いくつもの素晴らしい脈。今は暫く放置したせいで埃が積もり、その流れは絶えてしまっているものの、また久々に連絡することで再び血を通わせたいと思う。
前を向きたくないと思った時に過去を振り返る。その過去を引き出すカギになってくれるのは、紛れもなくその過去を共に過ごした仲間である。当時のような勢いで血を通わせるには、時間がかかるかもしれない。ただ、私が知るかつての仲間達は埃を払って元の脈を取り戻すだけでなく、更に太く、強い脈にすることが出来る最高の面々である。彼等との再会が、今から楽しみになってきた。

学生生活の総決算となる残り82日。少しでも将来の自分に残せるレガシーを生み出すべく、できるだけ多くの荷物を持って4月1日の自分にバトンパスができるようにしたい。残りの期間で手にしたもの、取り戻したものは光となり、4月1日から延々と続く真っ暗な世界を照らし、私に新たな道を示してくれるはずだ。その光はやがて武器にもなり、目の前に現れた壁を壊すことができるかもしれない。全ては未来の自分のため。この「特に何もしなさそうな3ヶ月」も、いつか道に迷う自分の大きな助けになると、私は信じている。